一
1 商取引の金額が大きかったり、関係者が多数いたり、複雑な内容だったりした場合、口頭のやり取りで済ますのではなく、書面を作成して、記録として残すということが多いと思います。
実際に、トラブルが発生し、裁判沙汰になった場合には、口頭でのやり取りよりも、客観的な書面が残っていた方が、有利であることは間違いありません。
特に、極めて重要な事項で、常識的に考えて、書面を作成してしかるべきなのに、合理的理由なく、書面を残さず口頭でのやり取りで済ましたという場合は、それ自体不自然であり、主張の説得力を損なうことになります。
2 もっとも、書面を作成するということは、それがそのまま証拠として重要な意味を持つので、記載する文言については、慎重に検討する必要があります。
経営者の方は、書面を残して証拠保全するという意識が高い方が多いと思いますが、書面の文言がどのような法律関係を発生させるのか、についてまで意識する方は少ないと思います。
また、税理士先生におかれましても、クライアントから書面の下書きを依頼されることがあるかと思いますが、記載する文言がどのような法的意味を持つかについて、深く調べて作成することを面倒くさいと感じる先生も少なくないと思われます。
3 書面の文言により、課税関係が変動することもあります。
今回は、実例をカスタマイズして、当事者の認識とは違ったけれども、書面の文言が重視され、課税関係が変動したケースをご紹介したいと思います。
自分が下書きをした書面について、想定外の法律関係が発生して、クライアントなどから文句を言われるのは嫌だし、一つ一つの文言の法的意味を調べるのは面倒くさいと思われる税理士先生は、ぜひ弁護士との協同をご検討ください。
二
1 X社は、甲社の株式200株を保有していました。
2 X社は、平成7年8月29日に、この甲社の株式を、Y社に売却する契約をしました(以下「本件株式売買契約」といいます)。
その契約の内容としては、
① Y社は、X社に対し、平成7年11月30日までに、売却代金の10%相当額のお金を、申込証拠金として支払う(以下「本件申込証拠金」といいます)。
② Y社は、平成10年8月29日までに、残金をX社に支払い、その時点でX社がY社に甲社の株式を譲渡する。
③ Y社が債務不履行をした場合には、X社は、書面によって本件株式売買契約を解除することができる。
④ Y社の債務不履行により本件株式売買契約が解除された場合、平成7年12月1日以降の解除については、本件申込証拠金全額をX社に支払わなければならない。
などというものでした。
3 Y社は、平成7年11月30日までに本件申込証拠金をX社に支払いました。
もっとも、その後、Y社の資金繰りが付かなかったことから、X社とY社が合意して、売買残代金の支払期日を、平成10年9月20日までに延期しました。
4 しかし、平成10年9月20日を経過しても、Y社は、本件株式売買契約の代金を支払いませんでした。
そこで、X社は、平成10年11月6日付「最終催告書」をY社に送付し、本件株式売買契約の代金を2週間以内に支払うよう催告するとともに、この期間内に支払いが無い場合には、本件株式売買契約を解除するという通知をしました。
そして、Y社がそれでも代金を支払わないことから、X社は、Y社に対し、平成11年1月13日付の「通知書」を送付しました(以下「本件通知書」といいます)。
X社は、本件通知書において、「本件株式売買契約を解除して、本件申込証拠金を違約金として没収する」と記載したのです。
5 X社としては、本気で本件株式売買契約を解除し、本件申込証拠金を取得する考えではなく、Y社にプレッシャーを与え、本件株式売買契約代金を払わせる目的で、本件通知書を送付しました。
Y社としても、本件通知書を受領し、慌てて代金の一部をX社に支払い、本件申込証拠金の没収を避けるために、何とかできないかとX社に相談を持ち掛けました。
6 そこで、X社とY社は、本件通知書が送付された後も交渉を継続し、最終的に、平成12年8月10日付「覚書」(以下「本件覚書」といいます)を取り交わしました。
本件覚書の内容は、
① 本件通知書の内容にかかわらず、X社とY社の間で、本件株式売買契約の履行についての交渉が継続していたことを確認すること
② 本件覚書の作成日(平成12年8月10日)をもって、本件株式売買契約を合意解約すること
③ X社は、Y社の指定するZ社に、甲社の株式200株を売却する売買契約を締結すること
④ X社は、Z社から支払われる代金をもって、Y社に対し、本件申込証拠金を返金すること
などというものでした。
7 そして、X社は、本件覚書と同日に、Z社との間で、甲社の株式200株の売買契約を締結しました。
三
1 この実例において、税務署長側は、X社が、本件申込金を取得したのに、それを益金に算入していなかったとして、更正処分をしました。
2 これに対し、X社側は、本件覚書を根拠に、本件通知書の記載に関係なく、Y社との交渉が継続しており、その結果、本件覚書が作成されて、本件申込証拠金をY社に返金することになったのだから、本件申込証拠金をX社の益金と認定した更正処分は違法であると主張し、係争になりました。
四
1 この実例において、結論を決めるポイントになったのが、本件通知書及び本件覚書の文言です。これらの書面の文言をどのように解釈するか、という問題です。
2 書面の解釈などの証拠の評価は、通常の判断能力を持つ一般人が、その証拠を見てどのように思うか、という基準に基づいて、客観的に判断されます。
実際に、当事者がその当時どのような認識だったかという点は、重視されません。当事者の主観的な認識に基づいて証拠を評価すると、「私はこのように考えました」と言えばその通りの評価になってしまい、言ったもの勝ちという話になるからです。
3 本件において、X社がY社に送付した本件通知書には、「本件株式売買契約を解除する」と明記されています。
「契約の解除」は民法541条で定められており、その意思表示は、法的に単独行為とされています。
単独行為ですから、相手方(本件でいえばY社)の同意や承認は不要であり、意思表示が相手方に到達した時点で、直ちに効力が発生します。
したがって、X社の「本件株式売買契約を解除する」という意思表示は、Y社に到達した時点で直ちに効力が発生するので、本件通知書がY社に送達され、本件株式売買契約が解除されたのに、その後も本件株式売買契約の交渉を継続していたというX社の主張は、矛盾しているというほかありません。
4 また、X社の本件通知書には、「違約金として、本件申込証拠金を没収する」という記載がありました。
この点、「没収」とは、一般用語であり、法律用語ではありません。
没収となると、本来返還するべきものを返還しなくても良くなり、返還するものを取得できることになりますから、法的な評価としては、「相殺」(民法505条1項)ということになります。
そして、相殺も、契約の解除と同様に、単独行為であると法的に考えられています。
したがって、X社が、本件通知書において「本件申込証拠金を没収する」という通知をしたということは、X社が相殺により本件申込証拠金を取得するという意思表示をしたことになります。
そして、本件通知書がY社に送達した時点で、直ちに相殺の効果が発生し、X社が本件申込証拠金を取得するということになるのです。
5 なお、X社として、「Y社にプレッシャーをかけるために、本件通知書を送付したのであり、本気で本件株式売買契約を解除し、本件申込証拠金を没収するつもりはなかった」と主張しています。
しかし、前述のように、書面の解釈と言った証拠の評価は、通常の判断能力を持つ一般人が、その証拠を見てどのように思うか、という基準に基づいて、客観的に判断されます。
本件通知書には、「契約を解除する」とか、「本件申込証拠金を没収する」と明記されている以上、上記の基準からすると、X社の言い分は通用しないと判断されることになります。
五
1 以上のとおり、X社が送付した本件通知書がY社に送達された時点で、本件株式売買契約の解除、及び本件申込証拠金の相殺の効力が直ちに発生します。
つまり、この時点で、X社が、相殺により本件申込証拠金を取得する権利が確定したと評価できるので、この時点の事業年度の益金に算入する必要があります。
2 この点、以前のブログでも述べた通り、益金に算入する時期や金額は、法人税法等で定められており、当事者間で変更することはできません。
本件でいえば、X社とY社の間で本件覚書が作成され、「本件通知書の記載内容にかかわらず、本件株式売買契約が有効に存続していることを確認する」という合意があったとしても、それが、益金算入の時期の問題に影響を及ぼすことはないのです。
したがって、本件覚書の記載は、X社の主張を正当化する根拠にはなりません。
六
1 なお、本件の実例において、X社は、益金があっても、同額の損金もあるから、所得に変動が無い以上、更正処分は違法であるという主張もしているので、付言いたします。
2 前述のように、平成11年1月13日付のX社の本件通知書がY社に送達された時点で、X社が相殺により本件申込証拠金を取得する権利が確定したので、その時点の事業年度において益金に算入することになります。
しかし、一方で、X社は、Y社に対し、本件申込証拠金を返金していますので、同額を損金に計上して差し引きすれば、所得が変わらないので問題ないと主張したのです。
3 ここでのポイントは、X社がY社に本件申込証拠金を返金した額について、いつの事業年度の損金に計上するのか、という点です。
なお、X社は、4月決算の会社であり、平成11年4月30日が事業年度の最終日だったという点が、ポイントになります。
4 前述のように、X社の契約解除も相殺も、本件通知書がYに送達した時点で直ちに効力が発生し、X社としては、その時点で、本件申込証拠金を取得する権利が確定しました。
X社として本来返金する必要のない本件申込証拠金をY社に返金することになったのは、平成12年8月10日に、Y社との間で本件覚書を作成したからです。
つまり、平成12年8月10日の本件覚書によって、X社は、新規に、Y社に対する本件申込証拠金相当額のお金を返金する債務を負担したことになります。
つまり、X社のY社に対する返金債務が発生したのは、本件覚書を作成した平成12年8月10日になるので、これをX社の平成11年4月30日までの事業年度の損金に計上することはできません。
5 このように、同じ金額だったとしても、益金と損金が発生した事業年度が異なるので、X社の主張する「差し引きトントン」というロジックは、通用しないのです。
七 このように、書面のような客観的証拠の評価の結果、当事者の認識と異なる判
断が下されるというケースも、少なくありません。
特に、内容証明郵便などは、事後的に訂正できないので、私も普段の業務で書面を作成するときには、どのような法律効果が発生するかを慎重に検討し、言葉
を選んでいます。
安易に書面を作成したり、書面にサインしたりしてはいけないことを示す、示唆に富んだ実例といえます。