一
1 コロナ禍がひと段落して、在宅勤務ではなく、出社を求める会社も増えています。
大都市を中心に、長時間かけて通勤する人も少なくありません。
そのような場合に、会社として、通勤するのではなく、勤務先の近くに転居するように命令することができるかという問題があります。
2 この点が争われたケースについて、実例をカスタマイズしてお話いたします。
二
1 Y社は、インテリアなどの製造販売等を事業内容とする株式会社です。
Y社は、東京都の中心部に本社があり、郊外に工場(以下「本件工場」といいます)がありました。
Xは、Y社の従業員であり、当初は、本社で勤務していましたが、事業再編により、本件工場で勤務するようになりました。
Xは、本件工場に勤務するために、片道3時間もかけて、通勤していたのです。
2 Y社の就業規則では、「会社の判断で社員の配置転換または転勤を命じることができる」という規定があるので、本件工場にXを配置転換することは、適法といえます。
また、Y社の就業規則には、「人事異動により居住地の変更を要する場合の取り扱いは別に定める」という規定がありました。
この規定は、Y社として、居住地の変更を要する人事異動を命じることもあることを意味します
そこで、Y社は、Xに対し、居住地を変更して、本件工場の近くに住んで、本件工場に通勤するよう命令しました(以下「本件転居命令」といいます)。
3 Y社が、Xに対し、何度も本件転居命令について説明し、従うよう指示しましたが、Xは、頑なに本件転居命令を拒否しました。
そこで、Y社は、「不合理な反抗を続け、正当な理由なく本件転居命令に従わなかった」ことを理由に、Xを解雇しました(以下「本件解雇」といいます)。
4 Xは、本件解雇が、客観的な合理的理由を欠き、労働契約法16条に違反するとして、本件解雇の無効確認訴訟を提起し、バトルがスタートしました。
三
1 Y社としては、本件転居命令の根拠について、以下の通り主張しました。
① 片道3時間にもわたる長時間の通勤により、X本人の健康不安が発生する。
② 長時間通勤による疲労や睡眠不足により、本件工場内で事故が発生する危険がある。
③ 通勤時間があまりに長いと、交通遅延や通勤途中の事故が発生する可能性が高くなる。
④ 残業を指示しにくい不都合がある。
⑤ Y社として、転居する上で、赴任手当や家賃補助等の福利厚生の配慮している。
2 そして、このように業務上の必要性がある本件転居命令について、Xが、繰り返し説明を受けても合理的理由なく拒否し続けているのであるから、本件解雇には客観的な合理性があると、Y社は主張したのです。
四
1 この点、人事異動・配置転換に業務上の必要性があるかという点については、会社の合理的な裁量に委ねられており、裁量の逸脱・濫用が無い限り、違法とはなりません。
2 しかし、転居を伴う人事異動の場合には、労働者本人だけでなくその家族等にも大きな影響を及ぼすので、会社の裁量の範囲も狭くなり、転居までさせる必要性があるのかが、相応に慎重な判断がなされます。
いいかえれば、労働者が通勤を希望しているのに、あえて転居を命じる必要があるのかについて、慎重な判断がなされるのです。
特に、本件転居命令に従わないことが、本件解雇の理由になっているので、本件転居命令が正当化されるかは、厳格に判断されるべきと言えます。
五
1 本件について見てみると、本件転居命令が出されたのが、Xが片道3時間かけて本件工場に通勤し始めてから1年後だったという点がポイントとなりました。
つまり、Xは、1年にわたり、片道3時間かけて本件工場に通勤しており、その間、目立った遅刻や欠勤も無く、長距離通勤や身体的な疲労を理由に、仕事を減らしたり業務を交替したりすることを申し出たこともありませんでした。
1年間にわたって本件工場への通勤をしてみて、特段の業務上の支障が無かったのに、今更になって本件転居命令を出すということは、やはり合理的であるとは言えません。
2 また、Xが本件工場内で行っていた作業は、製品の梱包であり、さほど危険性が高い業務とは言えないこと、早朝夜間の勤務は無く、緊急の対応が必要になることも考えにくいこと、現に残業をしなくても業務に支障が無かったこと、といった点も、Y社の主張の合理性を否定する要因になりました。
3 以上の点から、本件転居命令は、Y社の裁量の逸脱・濫用に当たり違法であり、このような本件転居命令違反を理由にした本件解雇は、労働契約法16条に違反し無効であると、裁判所は判断しました。
六
このように、人事異動・配置転換は、基本的に会社の裁量に委ねられているの
ですが、転居命令とか解雇といった労働者に重大な影響を及ぼす場合には、会社
の裁量も限定され、慎重に合理性の有無が判断されるのです。