一
1 今回のケースは、学校法人を舞台にした裁判の実例をカスタマイズしたものです。
2 学校法人の理事の場合、学校法人に勤務する従業員が理事を兼任するケースも多いと言えます。
学校法人と理事との契約関係は、委任契約になります。一方、学校法人と従業員との契約関係は、労働契約になります。
つまり、理事を兼任する従業員は、委任契約と労働契約の2つの契約関係が併存することになります。
二
1 Xは、Y学校法人に31年間勤務した従業員であり、途中から理事も兼務していました。
2 Y学校法人の理事会は、元本が確実に返還される期待が極めて低い、無謀な投機的取引に多額の資金を投資することを決議しました(以下「本件投資」といいます)。
Xは、この理事会の決議に賛成していました。
3 案の定、本件投資は失敗に終わり、Y学校法人は多額の損失を被りました。
Xは、Y学校法人の理事として、委任契約に基づく善管注意義務を負いますので、本件投資を実行したことについて責任を問われ、理事としての退職金を返納しました。
4 Xは、Y学校法人を退職することになったのですが、Y学校法人は、Xが本件投資を実行したことを理由に、Xの従業員としての退職金も支給しないという決定をしました。
これに対し、Xは、従業員としての退職金すらも支給しないのは不当であるとして、その支払いを求める訴訟を提起したのです。
三
1 本件でポイントとなるのは、Y学校法人の退職金規程(以下「本件退職金規程」といいます)の内容です。
2 本件退職金規程においては、懲戒解雇処分を受けた従業員には退職金を支給しないと規定されています。
それに加えて、「懲戒解雇処分に至らない場合でも、従業員の帰責性が認められて退職する者に対しては、退職金を支給しないか、情状により減額して支給することがある」と定められていました。
そこで、Xが理事として本件投資に賛成し、結果として多額の損失が発生したことが、この規定に該当するかが問題となるのです。
四
1 この点、裁判所は、「懲戒解雇処分に至らない場合でも、従業員の帰責性が認められて退職する者に対しては、退職金を支給しないか、情状により減額して支給することがある」という本件退職金規程の文言の解釈を重視しました。
つまり、この規定は、懲戒解雇に至らない場合でも懲戒解雇に準じる帰責性が労働者に認められる場合には、退職金の不支給または減額支給をするというものです。
とすれば、この規定が適用されるのは、懲戒解雇の対象となり得る従業員としての行為に限定されると解釈したのです。
言い換えれば、理事は、委任契約関係であり、Y学校法人から懲戒解雇されることはないので、理事としての行為については、この規定は適用されず、従業員としての退職金の不支給または減額支給は許されないという判断を示しました。
2 本件において、Xは、31年間にわたって真面目にY学校法人で勤務し、めぼしいトラブルを起こしたことはありませんでした。
したがって、Xの従業員としての職務について、懲戒解雇処分に準じるような重大な帰責性は認められません。
確かに、Xは、無謀な本件投資に賛成し、結果としてY学校法人に多額の損失を与えました。
しかし、これは、Xの理事としての職務として行ったものであり、労働契約に基づく従業員の職務とは関係ありません。
3 したがって、本件投資の件は、従業員としての退職金を支給しない理由にはならないので、Xの退職金請求は認められるという結論になります。
五
1 もっとも、Xは、理事として、Y学校法人に対し、委任契約に基づく善管注意義務を負います。このことは、従業員が理事を兼務していた場合も変わりません。
2 そして、理事であるXが善管注意義務に違反し、Y学校法人に損害を与えた場合には、その損害を賠償すべき義務を負います。
つまり、従業員としての退職金を支給されるかという点と、理事として善管注意義務違反による損害賠償義務を負うかという点は、別の問題になるのです。
3 具体的にXがいくらの範囲で損害賠償義務を負うことになるかは、本件投資の個別事情を、より具体的に精査する必要があるでしょう。
投資にリスクは不可避なので、損失が出たから全部理事の責任にするというのは、さすがに酷です。
一方、通常の判断能力を有する一般人を基準に社会通念に照らし、およそ無謀であり投資すべきではないと判断されるのに、本件投資を強行したという場合には、善管注意義務違反として損害賠償義務を負う可能性が高いと言えます。