精神疾患と業務上の疾病

1 以前のブログでも紹介しましたが、労働基準法19条1項本文により、労働者が業務上負傷し、または病気になり、療養のために休業する期間及びその後30日間は、解雇が禁止されています。
逆に言えば、業務上の負傷や病気でなければ、この規定が適用されないので、解雇は禁止されません。
業務上の負傷や病気でない場合には、一般的には、休職し、休職期間が満了しても復職できない場合には、退職・解雇となります。
このような点から、「業務上の負傷や病気」に当たるか否かは、極めて重要な判断要素になります。

2 職場で起きた事故で骨折したというような場合には、客観的・外形的に分かりやすいと思われます。
一方、精神疾患の場合、客観的・外形的に分かりにくいことも多いですし、複合的な要因から発症します。
このような精神疾患の場合も、「業務上の病気」に当たるかという点が問題となります。この点が争われたケースについて、実例をカスタマイズしてお話いたします。

1 Xは、Y医療法人が運営する病院(以下「本件病院」といいます)において、看護師として働く従業員でした。

2 Xは、本件病院での業務中に、入院患者からの暴力によりケガをして休職しました。
Xは、その後復職したのですが、再度、本件病院内で入院患者から暴力を振るわれてしまいました。
Xは、この2回の暴力事件の後、適応障害の診断を受け、休職しました。
その後、就業規則で定める休職期間が満了しても復職できなかったことから、Y医療法人は、Xを解雇しました(以下「本件解雇」といいます)。

3 これに対し、Xは、適応障害は業務上の病気であり、本件解雇は、労働基準法19条1項本文に違反すると主張して、訴訟になりました。

1 そもそも、労働基準法19条1項本文が、業務上の病気により療養している期間中の解雇を禁止しているのは、労働者が、解雇のことを心配せず、労働災害補償としての療養期間中の休養を安心してできるように配慮するという趣旨です。
したがって、業務上の病気にいう「業務上」とは、労災保険法の「業務上」と同じ意味内容であると解されます。
つまり、「業務上」の病気と言えるためには、①業務と当該病気との間に条件関係があること、②労災保険制度により補償をするのが相当と言える相当因果関係あることが必要になります。

2 本件において、Xについて、適応障害という診断がなされました。
適応障害は強いストレスが溜まった時に発生するものですが、ストレスの発生原因は複合的です。
業務に関する事項以外に強いストレスを感じる原因が特段無かったと言える場合でなければ、条件関係を認めるのは難しいでしょう。

3 また、現在の精神医学・心理学では、ストレスが非常に強ければ労働者個人のメンタル力が強くても精神疾患は起きるし、労働者個人のメンタル力が弱ければ、ストレスが小さくても精神疾患が発生するという「ストレス―脆弱性理論」が広く受け入れられています。
労働者各人の個別のメンタル力いかんにより、精神疾患が発症する可能性は大きく変動するので、一般的・客観的な判断が難しいところがあります。

4 この点から、「労災保険制度により補償をするのが相当と言える相当因果関係があるか否か」は、当該労働者と同様の職種、職場における立場、バックグラウンドに立った上で、一般的なメンタル力を有する者を基準にして社会通念に照らし、精神疾患を発症する程度の具体的な心理的負担・ストレスがあり、それが業務上の事項と有力に関係するのかという観点で判断されます。

5 裁判所は、この考え方を本件に当てはめ、本件の2回の暴力事件を受けても、一般的平均的労働者を基準に社会通念に照らして検討すると、休職期間が満了するまで復職できない程度に深刻な精神疾患を発症させる危険性のある心理的負担・ストレスをもたらすとは認められないと判断しました。
つまり、Xの適応障害と2回の暴力事件との間には、相当因果関係が認められないと判断したのです。

6 この結果、Xの適応障害は、業務上の病気とは言えないことになるので、休職期間が満了しても復職できない以上、本件解雇は有効という結論になります。

1 このように、精神疾患の場合、個人差が大きいという「ストレス―脆弱性理論」を裁判所が重視したという点がポイントになると考えられます。
各個人を基準にしていたら、すべてのケースで相当因果関係が認められることになってしまいますし、どの労働者も多少のストレスを感じながら仕事をしています。

2 通常のメンタル力を持つ一般的な労働者を基準にして社会通念に照らし、その業務上の事項が、復職できない程度の精神疾患を発症する具体的危険性を有するか否かで判断するという点で、一般性・客観性を維持していると言えます。

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