一
1 日本では、給与規程において、いわゆる職能資格制度に基づき職能給を支給する年功序列型の賃金制度を取り決めている会社が多くありました。
もっとも、最近では、職務の等級の格付けをして、これに基づき職務給を支給することとし、人事評価次第で昇格も降格もあり得るという成果主義型の賃金制度に移行する傾向があります。
2 実際、成果主義型の賃金制度に移行したことにより、受け取る給与額が減少した労働者が、会社を訴えたという事件がありましたので、実例をカスタマイズしてお話いたします。
二
1 Y社は、最先端の電子機器の電源雑音を検査する測定器の製作や販売など事業内容とする株式会社であり、Xは、Y社の従業員です。
2 Y社では、Xが入社する以前から、年功序列型の賃金制度が取られており、勤続年数が上がるごとに給与額が増え、いったん増えた金額が引き下げられることは、予定されていませんでした(昇給した給与が引き下げられることを予定した規定が給与規程にありませんでした)。
3 Y社が行う事業は、近年、低価格の海外メーカーが多数参入し、競争が激化していました。
その結果、Y社は、税引き前損益で、1億円から1億5000万円もの損失を出すようになってしまいました。
4 Y社としては、自社の業績を好転させるために、個々のチームや従業員個人の実績に見合ったインセンティブを与えることにより、積極的な従業員の活力を引き出して、早期に技術開発が可能な企業を目指すことにしました。
そして、Y社は、各従業員に対して、「賃金制度改定について」という書面を発行し、年功序列型の賃金制度を止め、職務給制度を導入し、各従業員が担当する職務に対応した職務給と業績貢献度を査定し、成果主義型の賃金制度を取り入れることを周知しました。
5 この成果主義型の賃金制度を導入することにより、勤続年数が増えても、担当する職務や業績貢献度が変わらなければ、給与額は変わりません。
また、査定評価が悪ければ、職務給の低い職務に担当替えとなってしまうので、従業員が受け取る給与額は減少することになります。
そこで、給与額が減少したXが、成果主義型の賃金制度に移行することが違法であるとして、Y社に訴訟を起こしたのです。
三
1 そもそも、Xが入社した際には年功序列型の賃金制度だったので、それがXとの労働契約の内容になります。
新しく就業規則(それに付随する給与規程)を作成・変更することにより、労働者の既存の権利や労働条件を不利益に変更するためには、原則として、労働者(労働組合)の同意が必要です。
たしかに、人件費を削減する目的で成果主義型の賃金制度を導入するわけではなく、逆に、成果主義にすることにより給与の総支給額が増加する結果になったとしても、現実問題として、以前より不利益な扱いになる人がいるのであれば、労働条件の不利益変更の問題となります。
2 もっとも、労働者の同意が無ければ、労働条件の不利益変更が認められない訳ではありません。労働条件の変更に、合理的理由があれば、労働者の個別の同意は必要ないと考えられています。
3 そして、賃金といった労働者の生活に直結する重要な点については、労働条件を変更するべき高度の必要性があり、かつ、労働者が受ける不利益の程度もやむを得ないといえる範囲内か否かで、合理性の有無が決まります。
具体的には、①変更により労働者が受ける不利益の程度、②変更すべき会社側の必要性の内容・程度、③変更後の条件の内容自体の相当性、④代償措置その他のケア、⑤労働者や労働組合との交渉の経緯、⑥同種事項に関するビジネス業界の一般的社会状況等を総合考慮して判断されます(最高裁昭和43年12月25日判決参照)。
四
1 本件において、Y社は、海外メーカーとの競争が激化して、税引き前損益が損失に陥るという厳しい経営状況にありました。
そのような状況では、個々の職務を担当する個人やチームの実績に見合ったインセンティブを与えて、積極的に職務に取り組む従業員の活力を引き出すことにより労働生産性を高めて、Y社の競争力を強化するという必要性は高度であると言えます。
2 また、Y社が重要とする職務について給与を紐づけ、その業務を担当し業績を上げた従業員に職務給を支給し、自己研鑽し努力した人が昇格し、より高い職務給の職務を担当することで給与額が増えるというのは、会社経営判断として合理的です。
すでに従業員が昇格していたとしても、それを固定的なもの、獲得済みのものとせず、評価査定によっては職務給の低い職務に変更することによって、努力や自己研鑽を促すということも、それ自体、経営判断として不合理とは言えません。
さらに、どの従業員についても、平等に、評価査定によって昇格または降格の可能性があることによって、より公平性や合理性が増すと考えられます。
3 Y社においては、従業員が希望に応じた職務に就けるよう、社内研修にも力を入れていました。
この点も、合理性を補強する一つの要因になります。
4 Y社が、成果主義型の賃金制度を導入する上で、労働組合と合意することはできませんでした。
しかし、Y社は、新たな賃金制度について書面で各従業員に対して周知するとともに、労働組合と団体交渉を重ね、協議をして理解を得ようとしており、不誠実な態度だったとは言えませんでした。
きちんと労働者側に説明責任を果たしたという点も、合理性を示す要素になります。
5 さらに、Y社は、給与額が減少した従業員のために経過措置を設けていました。
つまり、成果主義型の賃金制度になった結果以前より給与額が下がった従業員については、Y社が一定期間その差額を補填し、経過年数に応じて補填割合を減らしていくという制度を設けたのです。
このような経過措置があることで、円滑に新規の賃金制度に移行することができるので、この点も合理性を示す要素になります。
6 以上のような点から、Y社が、成果主義型の賃金制度に移行したことも合理的であり、適法という判断がなされました。
五
1 なお、Xは、成果主義型の賃金制度において、恣意的な評価査定をされたとも主張しました。
2 この点、裁判所は、職務をどのように格付けするか、どの従業員にどの職務を担当させるか、従業員がどのような業績を上げているかの評価、査定、判断は、会社の経営上の裁量に委ねられており、裁量の濫用・逸脱が認められない限り違法ではないという判断を示しました。
3 つまり、Xとしては、自分が、合理的理由なく恣意的に評価、査定されており、Y社の裁量の濫用・逸脱があるということを主張・立証しなければなりません。
これは、極めてハードルが高いことと言えます。